卒業式の定番曲
卒業式のシーズンですね~
かのぼんさんのところ( 「旅ブロネットの駅」 )で「卒業式に歌った歌は何だった・・・
」って記事を見て、最近の卒業式の定番ソングのことを書いてみようと思い立ちました
最近の卒業式では「蛍の光」でもなく、「仰げば尊し」でもなく、「旅立ちの日に」という曲が定番なんだそうです。
私はとても綺麗なハーモニーの素敵な曲だと思うのですが、皆さんはいかがでしょう
この曲は1991年ですから、今から23年前ですね(このYouTubeが数年前のUPなのでYouTube中では14年前になっています)、埼玉県秩父市立影森中学校の校長先生が作詞、音楽の先生が作曲をして生まれた曲なんだそうです。
この曲にはこんなストーリーが・・・
当時、影森中学校校長だった小嶋先生は、荒れていた学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指して、合唱の機会を増やしていました。
小嶋校長の提案に最初こそ生徒は抵抗しましたが、音楽科教諭の坂本先生と共に粘り強く努力を続けた結果、生徒達は歌う楽しさに目覚めて学校は明るくなっていきました。
「歌声の響く学校」を目指し生徒達に働きかけ始めて3年目の1991年2月下旬、坂本先生は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい」と思うようになり、作詞を小嶋校長に依頼しました。
最初は「私にはそんなセンスはないから」と断った小嶋校長でしたが、翌日、坂本先生のデスクには書き上げられた詞がそっと置かれてあったそうです。
その詞を見た坂本先生は、なんて素敵な言葉が散りばめられているんだと感激したと、後にラジオ番組への手紙で当時を振り返り語ったそうです。
その後、坂本先生は授業の空き時間にひとり音楽室にこもり楽曲制作に取り組むと、旋律が湧き出るように思い浮かび、実際楽曲制作に要した時間は15分程度だったといわれています。
出来上がった曲は最初はたった一度きり、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うためのサプライズ曲のはずだったのですが、その翌年からは生徒たちがこの曲を歌うようになりました。
ちなみに初めて披露した年度をもって、小嶋校長は41年に及ぶ教師生活を定年退職したため、小嶋校長がこの曲を披露したのはそれが最初で最後だったのだそうです。
最後の生徒達へのプレゼントだったのでしょうね。
その後しばらくは影森中学校だけの合唱曲だったのですが、この曲を知ったまわりの小中学校でも使われだしたことで、1998年頃までに全国の学校に広まり歌われるようになりました。
現在では『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、『贈る言葉』などに代わり、小中高の卒業式において全国で最も広く歌われている卒業式の歌となっています。
作詞者・小嶋登は2011年1月20日に80歳で急逝しましたが、同年11月14日に「旅立ちの日に」が誕生から20年の節目となることを踏まえ、作曲者・高橋(小坂先生はその後ご結婚されて高橋さんになられました)浩美と共に、埼玉県より「彩の国特別功労賞」(同賞創設以来4番目)が贈呈されたのだそうです。
なんだか心がほんわりとするお話ですよね。
いろいろと教師の問題や事件が取り沙汰される世の中ですが、何かの機会にこの曲を聞くことがあったら、こんなに子供達のことを一生懸命に考えて頑張る先生もいるんだな・・・と、心の隅でこっそり思いましょう。
明日からの自分がもう少し優しくなれたりするかもですよ・・・
w
(記事の内容はWikipediaから加筆転載させて頂きました♪)

かのぼんさんのところ( 「旅ブロネットの駅」 )で「卒業式に歌った歌は何だった・・・


最近の卒業式では「蛍の光」でもなく、「仰げば尊し」でもなく、「旅立ちの日に」という曲が定番なんだそうです。
私はとても綺麗なハーモニーの素敵な曲だと思うのですが、皆さんはいかがでしょう

この曲は1991年ですから、今から23年前ですね(このYouTubeが数年前のUPなのでYouTube中では14年前になっています)、埼玉県秩父市立影森中学校の校長先生が作詞、音楽の先生が作曲をして生まれた曲なんだそうです。
この曲にはこんなストーリーが・・・
当時、影森中学校校長だった小嶋先生は、荒れていた学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指して、合唱の機会を増やしていました。
小嶋校長の提案に最初こそ生徒は抵抗しましたが、音楽科教諭の坂本先生と共に粘り強く努力を続けた結果、生徒達は歌う楽しさに目覚めて学校は明るくなっていきました。
「歌声の響く学校」を目指し生徒達に働きかけ始めて3年目の1991年2月下旬、坂本先生は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい」と思うようになり、作詞を小嶋校長に依頼しました。
最初は「私にはそんなセンスはないから」と断った小嶋校長でしたが、翌日、坂本先生のデスクには書き上げられた詞がそっと置かれてあったそうです。
その詞を見た坂本先生は、なんて素敵な言葉が散りばめられているんだと感激したと、後にラジオ番組への手紙で当時を振り返り語ったそうです。
その後、坂本先生は授業の空き時間にひとり音楽室にこもり楽曲制作に取り組むと、旋律が湧き出るように思い浮かび、実際楽曲制作に要した時間は15分程度だったといわれています。
出来上がった曲は最初はたった一度きり、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うためのサプライズ曲のはずだったのですが、その翌年からは生徒たちがこの曲を歌うようになりました。
ちなみに初めて披露した年度をもって、小嶋校長は41年に及ぶ教師生活を定年退職したため、小嶋校長がこの曲を披露したのはそれが最初で最後だったのだそうです。
最後の生徒達へのプレゼントだったのでしょうね。
その後しばらくは影森中学校だけの合唱曲だったのですが、この曲を知ったまわりの小中学校でも使われだしたことで、1998年頃までに全国の学校に広まり歌われるようになりました。
現在では『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、『贈る言葉』などに代わり、小中高の卒業式において全国で最も広く歌われている卒業式の歌となっています。
作詞者・小嶋登は2011年1月20日に80歳で急逝しましたが、同年11月14日に「旅立ちの日に」が誕生から20年の節目となることを踏まえ、作曲者・高橋(小坂先生はその後ご結婚されて高橋さんになられました)浩美と共に、埼玉県より「彩の国特別功労賞」(同賞創設以来4番目)が贈呈されたのだそうです。
なんだか心がほんわりとするお話ですよね。
いろいろと教師の問題や事件が取り沙汰される世の中ですが、何かの機会にこの曲を聞くことがあったら、こんなに子供達のことを一生懸命に考えて頑張る先生もいるんだな・・・と、心の隅でこっそり思いましょう。
明日からの自分がもう少し優しくなれたりするかもですよ・・・

(記事の内容はWikipediaから加筆転載させて頂きました♪)
スポンサーサイト